徒然MEMO

もともとは読書日記。今はよしなしごとをメモする場として。

6月5日 NHKスペシャル「事故はなぜ深刻化したのか」

NHKスペシャル 6月5日放送
「シリーズ 原発危機 第1回 事故はなぜ深刻化したのか」では、200人以上の関係者の証言から、事故発生当初の対応の問題点を探った。

■3月11日 電源車

電源車は茨城や新潟から50台以上集められた。
現場の技術者「ケーブルつなぐのにもたついてた」
ケーブルが届かない、接続が合わないなど、初歩的なトラブルが続出した。

一部の電源車のケーブルが夜10時になってつながったが、原発の電源装置自体が壊れていたことが判明。このとき電源喪失から6時間。
福島第一吉田所長「電源をつないでもポンプが動きません」
東電小森常務「信じられない」

それまで電源確保以外の対策は考えられていなかった。
このとき電源喪失から6時間以上がすぎていた

■3月12日 1号機ベント

有効な手だてが打てない中、原子炉建屋の放射線量が急上昇していた。
原子力安全委員会・班目委員長は「メルトダウンを起こしてしまったら終わりだ。ベントを行うことと、注水を行うことがが大事」と主張したと言う。

東電社員「ベントは最終手段。信じられない」「ベントをやると聞いたとき、『この会社終わったな』と思った」
現場作業員「(ベントで)汚染という事態になったら、地域にお金を落としていたわけですけれども、そんなものではすまない」

マニュアルには電動でベントを行う方法しか記載がなかったが、暗闇の中、手動でベントを行うことになる。
原発から4.29kmの地点で最大28mSvの被曝が予想されるなど、周辺住民の避難の確認にも手間取った。

午前6時50分、政府がベントを命令。

管首相の福島第1視察に班目委員長は専門家として同行。助言を求められて、
管「ベントが遅れたらどうなるんだ?」
班目「化学反応が起きて水素が発生します。それでも大丈夫です。水素は格納容器に逃げます」
管「その水素は格納容器で爆発しないのか?」
班目「大丈夫です。格納容器は窒素で満たされているので爆発はしません」

12日午後2時30分、ベント実施を確認。
しかし、午後3時36分、1号機水素爆発。
官邸がその爆発を確認したのは2時間後。

■3月12日 1号機水素爆発の発表の遅れ

情報伝達の遅れによって被曝にさらされた、生後7ヵ月の子どもを持つ女性。
爆発が起きたのは親子が自宅近くの小学校にいたときだった。
「哺乳瓶を洗う水をもらいに外に並んでたら。海側のほうからどーんと音がして。主人が『原発が爆発したから逃げろ』と。防災無線の指示に従い、“北西”に向かいました
渋滞で、普段は30分で移動できる距離に4時間半かかった。
当時、国は放射性物質がどの方向に広がるか予測していた。しかし、その図は公表はされず、親子は放射性物質が流れている方法に逃げていた。

管総理が、水素爆発の事実とそれに伴う避難の要請を会見で発表したのは、午後8時30分。爆発から5時間がたっていた。

■3月12日 参与

管総理が頼りにしたのは、日比野靖=大学時代の友人。
情報通信の専門家が内閣参与に任命された。

■3月13日 3号機の危機

官邸内の外部の専門家との会議で深刻な見通しが示された。
出席者(プラントメーカー社長)「3号機の建屋も爆発すると思います」
管「何とか水素は抜けないのか」
出席者(プラントメーカー幹部)「建屋に穴を開けようとしても火花が散って引火の恐れがあります。無理です」

そのころ、原発の免震棟では、核燃料の損傷までわずかな時間しかないとのデータが示されていた。

■3月14日 3号機水素爆発

14日朝7時 陸上自衛隊が3号機への注水を要請された。
自衛隊員「爆発のことは話題にならなかった」

14日午前11時前。隊員を乗せた車両が、3号機から5メートルの位置に停車。車のドアを開けようとしたそのとき。降りようとした瞬間、爆風。次の瞬間、上から瓦礫が車両の屋根をつきやぶって落ちてきた。隊員4人が重軽傷を負う。放射性物質を洗い流すため、8回も全身を除染することになった。

■3月14日 2号機の危機

3号機の爆発から5時間後の午後4時過ぎ、
予想を超える深刻なシミュレーションが示された。
2号機でベントができなくなっていたのだ。
核燃料が露出するまでわずか1時間。

技術者「第一原発が終わっちゃった。これでもう終わりなんだな」と

この夜、吉田社長は廊下で休んでいる作業員に話しかけたという。
「皆さん今までいろいろありがとう。
努力したけど状況はあまりよくない。
みなさんがここから出るのは止めません」

この日、社員ら70人を残して、200人以上が福島第一原発を去った。

2号機の状態は東電本社にも報告された。
東電清水社長は吉田所長は東電本社を通じて「福島第一から撤退したい」と、5回にわたって政府に電話で伝えてきた。

東京電力の認識は官邸と大きく違っていた。
「撤退ということを、緊急時の対策室から誰もいなくなるということで申しあげたことは一度もない」

早朝5時30分、総理は自ら東電に乗り込む。
「お前らふざけるな。このまま放置したら、どんな事態になるかわかっているはずだ。撤退は許されない。60歳以上の人間は現場に行って自分たちでやる覚悟を持て!」

■3月15日未明 2号機と4号機が爆発した。

(注:この日の2号機圧力抑制室の破損によって、極めて多量の放射性物質が大気中にばらまかれることになった)

班目委員長「みんな自分自身でしっかりチェックしたわけじゃないけれども、ほかの人がチェックしたから大丈夫なんじゃないかなと。これは人災です」
「3月11日以降のことがなければなぁと、それにつきます」