徒然MEMO

もともとは読書日記。今はよしなしごとをメモする場として。

なんだかずっと走ってる:映画『ストップ・メイキング・センス』

1984年の映画『ストップ・メイキング・センス』が、4Kレストア版で復活。

80年代米国で活躍したバンド、トーキング・ヘッズのライブを収めた、伝説的なドキュメンタリー作品を、今回初めて観た。

これまでトーキング・ヘッズはあまり聴いてこなかったけれど、この映画もピーター・バラカンの番組内で多くの人が勧めていたのだった。

上映最終日と知って、仕事帰りに映画館へ。
平日に映画館に行くのは何年ぶりだろう。

ナレーションなし。字幕は歌詞の日本語訳だけ。
1曲目から、デヴィッド・バーンアコースティックギターがリズムを細かく刻んでいる。
リズムとリフレインが生む、ダンサブルな音楽。

デヴィッド・バーンの何かにとりつかれたような表情、メンバーの楽しそうな表情。そして、全員、なんだかずっと走っている。

ステージも映画も派手な演出は皆無。演奏と生身の人間のむき出しのエネルギーをフイルムに収めた作品。

映画館には終始立って踊っている人もいた。

 

「ワールドロックナウ」最終回と「サウンドストリート」

WORLDROCKNOWとソロキャンプ

昔は毎週のように渋谷陽一氏のラジオ番組を聴いていたが、長いあいだ、氏の番組の熱心なリスナーではなかった。

1997年に始まったという土曜夜の番組「ワールドロックナウ」もほんとんど聴いていなかった。

数年前から、ひとりでキャンプでするようになったことをきっかけに聴くようになり、懐かしロックではなく、常に新しい音楽を追求する氏の姿勢に好感を持っていた。

Rosalíaや、MitskiやRINA Sawayamaを、この番組のおかげで知った。

 

渋谷氏が体調を崩したことがきっかけで、この長寿番組が終了した。

伊藤正則氏が代打を務めた最終回の放送は3月30日。

 

サウンドストリートと38年前の『アキレス・ラスト・スタンド』

かつて愛聴していたラジオ番組「渋谷陽一サウンドストリート」。

今日から38年前の1986年3月、その番組の最終回で最後にかかった曲はレッド・ツェッペリンの『アキレス・ラスト・スタンド』だった。

今回の「ワールドロックナウ」最終回、ラス前の曲も『アキレス・ラスト・スタンド』。

数多くのリクエストが寄せられたという。

コーチェラのboygeniusを観る


The Linda Lindas 

日曜日、普段見ることのないTwitterのトレンドで、「リンダリンダ」だったか珍しい言葉を見かけた。
理由を探ると、The Linda Lindasがコーチェラのステージで、1曲目に『リンダリンダ』のカバーを歌ったようだった。
YouTubeでそれが中継されているらしい。

観てみると、確かに薄暗いステージで4人が演奏している。
リンダリンダ』はいつものように映画『リンダリンダリンダ』で劇中バンドが演奏したバージョンで、もちろん歌は日本語。
それにしても音がひどい。ひどいを通り越して、メインボーカルが聞こえないという惨状。
このバンドは、4人がかわるがわるメインボーカルをとるので、PAがうっかりしすぎて調整が追いついていないのか。
『Talking To Myself』はドラムの妹。
『Growing Up』はギターの姉が歌う。
猫の歌は、ご近所さんのスペイン語を話すギターが歌うし、『リンダリンダ』やラストの『なんとかボーイ』のメインどころは真ん中のいとこが歌う。

今日もギターの姉の動き方が楽しそう。
こんなに音がひどいのに聴いていられるバンドは珍しい。

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Rosalia

メインのステージでラス前に登場したのが、スペイン代表のRosalia。

屈強の男性ダンサーたちを従える、という演出には「またか」と辟易するものの、ともかく歌がうますぎる。
余分に息を吐きながら歌うというかなんというか。
正確なピッチと、上品さと情熱を感じさせるビブラートと、色気のある吐息唱法。

圧巻がピアノ弾き語りの『Hentai』という美しいバラード。
ヘンタイは日本語の変態。

スペイン語圏の人が、米国のフェスで、「ヘンタイ」と歌う。

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boygenius
で、たまたま見たのが、boygeniusという3人組。
スーツ姿の女性3人がギターを弾いている。後ろにドラムとベースがいる。
米国の人らしいが、英国の香りがプンプンする。
ボーカルのハーモニーとギターの絡みあいが絶妙。
声をはらなくても説得力のある音楽。

歌詞はわからないが、ふと想像する。

スコットランドの陰鬱な空の下に広がる氷河に削られた丘陵地の鮮やかな緑。
くすんだ灰色のビルの隙間で、遠くに行きたいと願いながら、ただ通りを見つめる子供たち。

最後の曲はなんという曲だろう。
2人が素晴らしい熱唱を終えて寝転んで抱き合う。もう1人がギターソロを弾きながら2人に重なり、三つ巴状態になる。
どんな曲でもどこかしら静謐さを感じさせながら、確かに情熱的。こんなステージを実現させたら、そりゃあ抱き合うだろう。

とても感動的な光景を目撃した。

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挙げたのは、みんな女性グループばかりじゃないか。
女性とか、英語以外の言葉とか、かつて「ロック代表」でなかったものが今はもっともロックっぽいのだろう。
当然のことといえば当然のことだ。

BLACKPINK

ブラックピンクのことはよく知らなかったが、こういうフェスで、メインステージのトリをつとめる存在だったとは。
タイ出身のLALISA(リサ)という人が人気があるらしい。確かに手足の長さと細さが尋常ではない。
こういうグループの「ダンサー」って何なんだと思っていたが、BLACKPINKの最大の特徴はこのリサというダンサーだとわかった。

いまどきの音を聴くと「音頭」のリズムを感じることがある。

『リンダ リンダ リンダ』を久しぶりに観る

The Linda Lindasというバンドがあるのを知ったのは去年のことだった。
たしか、「THE LINDA LINDAS」と書いてあるTシャツを着ている人に、それは何かと尋ねたからである。
米国の少女4人が映画『リンダ リンダ リンダ』に触発されて名付けたバンド名だと聞き及んだ。

以前観たその映画を、なぜか今日また観たくなった。
ふだんは映画を観ても内容をすぐ忘れてしまうのだが、この映画については覚えていることが多い。

高校の文化祭で女子高生4人の演奏する曲は、『リンダリンダ』『僕の右手』『終わらない歌』の3曲。急造ボーカルは、韓国からの留学生。

『僕の右手』は、他に2曲に比べてそれほど有名な曲ではないが、初めて映画を観たときに、この選曲に納得した気がする。が、今回は、その納得した理由が思い出せなかった。何だろう?「僕の右手」=手段を捜すという歌詞が、あの年代に合うと思ったからだろうか?

2005年の映画なので(映画の舞台は2004年だったか?)、2023年の今から20年近く前の映画だということになる。
リンダリンダ』のリリースは1987年らしい。映画の中でも17年ほど前のクラシックな日本のロック。

前に観たときは出演者についてあまり意識していなかったが、美人すぎる急造ギターは香椎由宇だった。ドラムの前田亜季は、ドラムの心得があったらしい。韓国からの留学生は有名なぺ・ドゥナだった。上手なベースは、Bass Ball Baerの関根史織
バンドの演奏がよくなっていくライブ感が楽しい映画だった気がする。
そして、今回気づいたのだが、軽音部の顧問の先生が甲本雅裕で、ヒロトの弟だった。
あと松山ケンイチが出ておる。

留年してるっぽい先輩、山崎優子(現ロックバンド・新月灯火在籍)と、場つなぎでアカペラで歌う湯川潮音。歌が(ギターも)気持ちよすぎる。高校の文化祭でこんなん出てきたら、体育館に人も集まるだろう。

「ソンちゃん、泣いてるよ」のシーンが、やはりよい。

映画内のバンドParanmaumは6曲入りのミニアルバム『we are PARANMUMを出している。劇中の3曲以外に、オリジナルの曲が3曲あり、映画に感動した松本隆氏が作詞をしたものだそうだ。

YouTubeThe Linda Lindasのライブ映像を見つけたので、これから観ようと思う。というか、少し観た。
1曲目が『リンダリンダ』のカバーだった。Paranmaumのバージョンに近い。日本語で歌っておる。

www.youtube.com


1987年から30年以上の時を経て、遠い米国の少女たちが、ブルーハーツにちなんだ名前のパンクバンドをやっている。
そして、ライブの1曲目で、日本語で『リンダリンダ』を歌っている。
LAの観客がそれを聴いて、騒いでいる。
この世界は、まだまだ捨てたもんじゃない。

『TRAIN‐TRAIN』とウディ・ガスリーについて―鉄道開業150周年に寄せて―

「栄光に向かって走る列車」と図書館で出会う
2022年10月。日本で鉄道が開業して150周年を迎えた今月、テレビやラジオの特番で、ときおりザ・ブルーハーツの『TRAIN‐TRAIN』を耳にします。
今から34年前、1988年にリリースされ、翌1989年のテレビドラマ『はいすくーる落書』の主題歌となり、彼らが世間に広く知られるきっかけになった曲です。

アルバムバージョンだけですが、この曲が始まる前に甲本ヒロトのハープが、蒸気機関車の排気音を奏でます。それは、乾いた大地をひた走る、かつての米国の巨大な列車を思わせます。

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この曲のモチーフになったのが、ウディ・ガスリーの自伝だと思われます。
ウディ・ガスリーは、1930年代にから50年代にかけて米国で活躍したフォークシンガーです。ボブ・ディランなど多くのミュージシャンが憧れた存在で、『路上』を著したジャック・ケルアックなど、「ビート世代」の作家たちにも影響を与えたと言われています。


何十年も前の話ですが、私が、ある図書館を訪れたとき、ふと手にして読んだのが、ウディ・ガスリーの『ギターをとって弦をはれ』というハードカバーでした。
1942年、彼が30歳のとき、ギターを片手に米国を放浪する自身の体験を書いたもので、貨物列車に飛び乗って無賃乗車の旅をするシーンなどが描かれていた気がします。
この本は、晶文社から1975年に出版されたものですが、おそらく今は絶版です。

本作には、
「栄光に向かって走ってるんだ、この電車は」
といった内容の詩が印象的に使われています。
調べてみると、これは『BOUND FOR GLORY』というゴスペルソングの歌詞をアレンジしたもので、ウディ・ガスリーも録音していたようです。

ボブ・ディランもこの曲をカバーしていますが、この著書に強い衝撃を受けたことが、一時期、本人いわく「ウディ・ガスリー・ジュークボックス」になるほどのガスリー好きになったきっかけの一つのようです。

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そして、この自伝は映画化もされています。

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日本版の表紙にも大きく掲載されていますが、この著書の原題も『BOUND for GLORY』。
「栄光行き」です。

『TRAIN‐TRAIN』が収録されている、ザ・ブルーハーツのサードアルバム『TRAIN-TRAIN』のアルバムジャケットは、米国の鉄道の切符をかたどっていて、裏面には『Bound FOR glory』と書かれています。
1988年11月23日に発行された「栄光行き」の切符です。


ジャック・ケルアックと放浪とウディ・ガスリー
この曲をつくったのは、マーシーこと真島昌利
彼は「ビート世代」の作家のひとり、ジャック・ケルアックの愛読者で、ライブでもしばしばジャック・ケルアックを描いたTシャツを着ていました。
放浪の作家、ケルアックの代表作の『路上』や、とくに貨物列車で旅する『ザ・ダルマ・バムズ(旧題:ジェフィ・ライダー物語)』からは、ウディ・ガスリーの存在の影響が色濃く感じられます。
ちなみに、ザ・ブルーハーツの最初のアルバムの1曲目『未来は僕等の手の中』をつくったのはマーシーですが、その歌詞は、『路上』の登場人物、ディーンをイメージしたものではないかと勝手に確信しています。
『路上』には『オン・ザ・ロード』という新訳版もありますね。

ちなみに、以前、「KEROUAC(のちにKERA)」という女性ファッション誌が登場したとき、「なぜケルアック?」と思ったものですが、「ストリートスナップ→路上→ケルアック」ということだったようです。

そういえば昔、都内に「サルパラダイス」というレゲエのクラブがあった気がします。サル・パラダイスは『路上』の語り手の名前です。

マーシーも、ボブ・ディランジャック・ケルアックなどからさかのぼって、ウディ・ガスリーを知り、彼の曲を聴き、彼の自伝を読んだのでしょう。

タイトル「TRAIN‐TRAIN」が予言したもの
ちなみに、英国のビリー・ブラッグは、ウディ・ガスリー同様、ギターの弾き語りのイメージがあるミュージシャンですが、1986年のアルバム『Talking With The Taxman About Poetry』には『Train Train』という曲が収録されています。
マーシーはこの曲へのオマージュとして、『TRAIN-TRAIN』というタイトルをつけたのかもしれません。

このビリー・ブラッグですが、1992年のウディ・ガスリー生誕記念コンサートに出演したことがきっかけで、ウディの娘から、父の遺した詩に曲をつけることを依頼され、ウィルコ・ジョンソンと『Mermaid Avenue』というアルバムをつくったそうです。
マーシーは、結果的に、ビリー・ブラッグウディ・ガスリーの強い結びつきを見抜いたようなタイトルをつけたことになりますね。

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パンクと図書館と落書きと
ある小さな街の図書館に、もしもまだ『ギターをとって弦をはれ』が置いてあるならば、その本の真っ白だった1ページに、『TRAIN-TRAIN』の歌詞が鉛筆でびっしりと書き込まれているかもしれません。
はいすくーる落書」ではなく「らいぶらりー落書」。けしからんですね。

(追記)
あるブログ真島昌利の文章を見つけました。
レコード店などでも配布されていた「青心会通信」のもの。
カローラかぁ」「コーラかぁ」と変なところに感心した記憶があります。
この文章を読んだから、ウディ・ガスリーに関心を持ったのかもしれません。


「BOUND FOR GLORY」
86年夏のブルーハーツのDMについてた、マーシーのエッセイ

この汽車は乗せていないよ。ばくち打ちも、
ウソつき野郎も、ドロボウも、羽ぶりのいい流れ者も。
この汽車は栄光に向かって走っているんだ。
この汽車は!――――――――――――――――
今にも泣き出しそうなくもり空の下、甲州街道をまたぐ
歩道橋の上で(重いクルマが通るたびに揺れている)流れて
いく自動車を見ている。こんなに沢山の自動車はいったい
どこから来て、どこへ行くんだろう。
去年の夏 親父のダサイ カローラで むし暑い夜を走り出た時、
美しい夜明けの光の中で道ばた教会の看板が輝いていた。
その看板にはデッカイ文字でこう書いてあった。
―――――――あなたの人生に勝利を!!――――――――
「はい。どうもありがとうよ!」と言いながら僕はコンビニエンス
ストアの前にカローラを止めて、冷たいコカ・コーラを飲んだ。
信号が変って歩道橋の下の横断歩道を買物カゴをさげた
オバサンや学生や背中のまがった老人が各々のスピードで渡って
いる。そこで僕は自分にとっての栄光と勝利を考える。
この小さな土の固まりが焼けつく太陽から飛んできた最初の
ときからの人々の栄光と勝利について考える。
激しい雷鳴のなかで抱き合い、KISSを交わしあった恋人達に
ついて、苦労ばかり多くてむくわれる事の少ない人々について考える。
1930年代のほこりまみれのアメリカ大陸をギター片手に放浪し
風と共に去っていった吟遊詩人ウディ・ガスリーは言ったものだ
「おれがやめることになれば、今度はあんた達が仕事をやめて
旅に出るべきだ。やるべき旅は山ほどあるのだから。」
自由でいる事の責任はいつだって自分自身で背負うべきモノだから、
僕は強くなりたい。そして流されるのではなく、流れていきたい
自分の意思で。なぜかというと流れずによどんだ水は、
やがてクサってしまうんだぜ、ベイベー! THE BLUE HEARTS
明日はどっちだ!! それじゃあ、またね。GUITARのましまです。