「コロナ禍でが売上が落ちた」というのは違和感がない。
でも、「コロナ禍で売上を伸ばした店」「コロナ禍で躍進したIT企業」など、「ん?」と思わせる表現が珍しくない。
しかも、多くの人は「ん?」と思っていない気配すらある。
「コロナ禍」の「禍」は訓読みすると「わざわい」。「戦禍」の「禍」で「禍福はあざなえる縄のごとし」の「禍」。
「禍」のなかにすでに「よくないこと」「不幸なこと」という意味が含まれている。
「戦禍で家を失った人々」というと、「戦争という不幸に見舞われて家を失った人々」という意味なのだなぁと思う。
「コロナ禍で職を失った人々」というと、「新型コロナ蔓延という不幸に見舞われて職を失った人々」という意味なのだなぁと思う。
でも、「コロナ禍で売上を伸ばした店」だと、「新型コロナ蔓延という不幸に見舞われて売上を伸ばした店」というニュアンスになって、意味がわからなくなる。
「コロナ禍のなかで売上を伸ばした」なら、「新型コロナ蔓延という不幸な状況のなかで売上を伸ばした」となるから違和感はないけど。
一方「コロナ下」という言い方もあって「コロナ下で職を失った」なら「新型コロナが蔓延する状況下で職を失った」という意味なんだろうと思う。
「コロナ下で売上を伸ばした」も「新型コロナが蔓延する状況下で売上を伸ばした」という意味だろうし、とくに違和感はない。
発音が同じだからといって、「コロナ禍」を「コロナ下」のかわりに使うことが蔓延しているのを見ていると、「世の多くの人々は、言葉の意味や内容なんてどうでもいいと思っているのかなぁ」と思う。それっぽければいいんだろうか。
いやいや、そんなこと前からわかってたじゃないか。